特別インタビュー:在オークランド日本国総領事館 濵田真一 総領事

BUSINESS

2021年7月号掲載

ニュージーランドの移り変わりを定点観測

昨年の6月に着任された濵田真一総領事にとって、ニュージーランド赴任は今回で3度目となる。総領事の目から見たニュージーランドの変化や印象深い任務などを伺った。

―1984年に外務省の研修で2年間、ウェリントンのヴィクトリア大学に在籍されましたが、この時の印象はいかがでしたか?

私はニュージーランドへの研修生として第一号だったのです。入省後、英語の場合の研修先は英国、米国、豪州がほとんどですが、ちょうど初めてニュージーランドに一人を派遣することになった時でした。学生時代に芝居をやっていましたので、ニューヨークに行きたかったのですが、『えっ、NYじゃなくてNZ⁉』(笑)。しかし来てみたら、ウェリントンは私の生まれ故郷、長崎に雰囲気が似ていると感じましたし、静かでいい場所だなと思いました。

ニュージーランド人がこんなシャイな人々だとは思いませんでしたね。同じ学生寮に住み、お互い顔を知っているはずの学生と大学の構内ですれ違った時、あいさつしようと思ったら、突然目をそらされてしまいショックだったことがありました。しかしその後、仲良くなり、なぜ無視したのかを聞くと、『シンが僕のことを知っているという自信がなかったから、気まずい雰囲気にならないように、あの場は知らないことにしようと思った』と言われました。同じ島国なので、日本人に似てシャイなのかなと思いましたね。

―2度目の赴任は2002年。ウェリントンの大使館の書記官として1年半在勤されました。18年前と比べニュージーランドにどのような変化を感じましたか?

英語圏で同じ国に3回赴任するのは、まれなことなのですが、約20年おきにこの国に来て、私なりの定点観測ができますね。

留学した1984年は与党が国民党からロンギ首相の労働党に変わり、すに英国に代わって政治・経済とも最も大切な国となっていた米国との関係をギクシャクさせても核反対を推し、国営企業の民営化を中心とする大胆な経済改革を進めようとする時期でした。かつて英国の一部のようだった国が、太平洋主権国家して生きていこうとする気概は、国歌からも感じます。留学した当時は、正式な2つの国歌のうち『God save the Queen』が歌われることが多い印象でしたが、それが2002年に来た時には、『God defend New Zealand』(英語のみ)になり、なんと今回は、英語の前にマオリ語で歌うのが当たり前になっていました。人々の前で話をする際に、そこにマオリの人がいようがいまいが『テナコトウ、テナコトウ』からあいさつを始めるのも普通になっていますね。

それはきっと、ニュージーランド人としてのアイデンティティーというか、自らのよりどころのようなものを確立する上で、パケハの人々もマオリの文化をポジティブに受け入れてきたということなのでしょう。

一方、時は経っても、豊かな自然は変わりませんし、オーストラリアとは違う箱庭的な美しさはニュージーランドの魅力です。留学当時はホワイトとブラックの二種類しかなかったコーヒーの種類が増えた、おしゃれなカフェやレストランが増えた(日本食も!)、ワインは甘口からドライ系に、赤ワインもおいしくなってきた、というような生活面の良い変化も強く感じています。

―ニュージーランドの生活スタイルに慣れていらっしゃると思いますが、余暇はどのように過ごされていますか?

最初の研修時に、北から南まで全国を車で回りましたし、2回目は家族でもあちこち小旅行もしましたので、単身赴任の今回は、それほど出かけなくなってしまいましたね。休日はのんびりして、読書、演劇や映画鑑賞、たまにドライブを楽しみ、週に2回はオークランド剣道クラブで仲間と汗を流しています。剣道はいいですよ、歳を取ってもできますから。

『メリーポピンズ』や『ハカ・パーティー・インシデント』などの舞台も観ました。日本人ダンサーが在籍しているニュージーランド・ロイヤルバレエ団の公演も観に行きたいですね。

―外務省の任務で、一番印象に残っている外務省の任務はどのようなことですか?

珍しい体験といえば、イラクのバグダットにいた時ですね。イラン・イラク戦争中でしたので、若手でペアを組み、『ミサイル当番』をしました。ミサイルはたいてい深夜に飛んでくるので、爆発音で飛び起き、立ち上る煙で方向を確認し、落下地点に駆けつけて日本人がいる地域か、どんな状況かを確認し、大使館に戻って本省に打電しました。音に慣れるまでは、住んでいたアパートの隣室のドアがバタンと閉まるだけでも反応していましたね。

また、ナミビアに大使館を開設したことも印象深いです。日本から派遣された2人で、まず貸しオフィスの一角を借りてスタート。現地職員を雇って仮業務を始める傍ら、正式な大使館の建物建設を進め、親公館である在南アフリカ日本大使館の支援を得ながら何とか正式な開館にこぎつけました。ある日、日本大使ができたことを聞きつけたナミビア人の年配の方が剣道を習いたいと言ってきてくれました。たまたま私が剣道経験者でしたので、二人で稽古を始めることにしました。彼は今や十数名を教える道場主であり、ナミビア剣道連盟会長として、剣道の普及に努めてくれています。

―新型コロナによる影響など、在留邦人から相談を受けることもあるのでしょうか?

ニュージーランド政府が国籍問わず給付金を支給してくれているおかげでしょう、コロナ禍の生活に関する相談や苦情は特に受けておりません。ただ、企業への赴任のためのビザが発給されない問題は依然としてあり、引き続き大使館と協力して働きかけをしていきたいと思います。

―ニュージーランドに暮らす日本人へメッセージをお願いします。

総領事館はこちらで暮らす日本人の皆さまのためのサービス提供機関です。毎年実施するアンケート調査では、事務処理が迅速で的確との評価をいただく一方、事務的過ぎて温かみがないとのコメントもいただきます。カード払いの導入、手続きのオンライン化の促進、警察証明発給の迅速化など、日本の制度上直ちに実現は難しいこともありますが、それらを含めてサービス向上に努めていきますので引き続き忌憚ないご意見・アドバイスをお願いします。

ナミブ砂漠(ナミビア)をバックに
留学したヴィクトリア大学にて。研修を終えたこの年の暮れに二人は結婚
2 0 2 5 年大阪・関西万博誘致キャラクター特使の一人(一匹?)として大活躍してくれた功労者とともに
2 015 年8月17日付ナミビアの地元紙が報じた日本大使館事務所開設。ひと月前に大使が着任し、日本人は5人になった
濵田真一 総領事
在オークランド日本国総領事館
濵田真一 総領事

長崎県出身。早稲田大学政治経済学部卒。1983年外務省入省。海外はニュージーランド、イラク、豪州(メルボルン)、マレーシア、英国(エディンバラ)、南アフリカ、ナミビアの日本大使館(総領事館)に勤務。
外務本省では、主に国際協力局、経済局(経済連携協定交渉、大阪・関西万博誘致他)に勤務。2020年6月、経済局官民連携推進室長から現職。



取材・文 GekkanNZ編集部

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